「寝室から」
一、就寝
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クローゼットに買いだめしておいた水が切れて、今日で二週間になる。今は若干土色に濁った不味い水道水を代わりに啜っている。
日付を跨いだ訳でもないのに、動けなくなりそうなほど粘度の高い嫌な夜だ。
常夜灯の明かりを月光と仰いで、洞窟のようなアパートの一室の隅っこで、延々と冷蔵庫の音と小さな音楽を聴いていた。冷蔵庫の唸る音をよく聞いてみれば、その奥に何かしら音楽が鳴っている、ような気がしなくもない。
「落ちるところまで落ちれば、あとは這い上がるだけだよ」という誰かの言葉を信じて何ヶ月が経ったか、もう忘れてしまった。
日が昇るのも沈むのも気まぐれなこの不思議な地域に住んでいると、日付感覚が麻痺してしまう。
部屋の電気を消してしまえば、本物の月明りや不規則に点滅する街灯、トラックがそこらにまき散らすハロゲンライトとエンジン音、排気ガス、一日に一回は流れる小さな黒い流れ星の轟音などで、カーテンの外はパレードの様相だ。
「そろそろ寝ないと」と言ってみたはいいものの、脳内までパレードの様に騒がしいので、嘘つきになる他なかった。
右の太腿の上でずっと同じ曲を歌っているスマートフォンが、ブブッと季節外れな身震いをする。
『今日ストロベリームーンなんだってよ』
他愛のない、という言葉がよく似合う会話を、今日も四角い世界で広げている。学校の先輩からもう二通「他愛のない」が送られてきて、僕は話すように指を滑らせる。画面を暗くしても目をしつこく刺さしてくるブルーライトとも、ここ数ヶ月ですっかり仲良くなっていた。
会話の内容なんて特別なことは何もない。学校がだるいだとか行きたくないだとか、バイトがどうだとか先生の悪口だとか。そういう会話を重ねる度に過去の反省会の議題が増えるのだが、それはいまや生活に癒着していて、簡単には取れそうにない。
スマートフォンの時計を見てみると、0:13と表示されていた。さすがに寝ないとな。
もう随分詩を書いてない。歌もいつの間にか歌わなくなっていた。
なにがあっても決して手放すことなどないと思っていたものが、窓の隙間からスルスルと出て行ってしまいそうなくらいには遠くなっていた。
何の意味もないため息を吐いて音楽を止め、独り暮らしの準備の時に選んだ柔らかめの枕に頭をススッと沈める。起き上がり、そしてまた沈める。秒針の音が冷蔵庫といい勝負をしている。起き上がる。
あぁ、もうらちが明かない。
窒息しそうな部屋に呼吸をさせるため、カーテンをふらつく体で開けた。変に汗ばんだ足裏がペタペタと音を立てる。
ちゃんと月明りに照らされた、見事に散らかった部屋を見て、やっぱり開けなきゃよかったと後悔する。カーテンを開けたことによって活発になった埃と水蒸気が、部屋の空気を濁らせているのが見て取れる。こうやって下らないことを繰り返しているとすぐに朝が僕を殺しに来るので、薬を飲み込み、もっと埃っぽいベッドに横たわる。
首を傾けて月を見る。窓を額縁としたそれは、ストロベリームーンというほど色づいてはいなかった。
なんだ、という味気ない落胆をぷかぷかその辺に放り投げて、ゆっくりシャッターを切る。
いつも通り、くぐもった夢を見る。


